胆振東部地震発生から4日

 

9月6日未明に起こった胆振東部を震源とする最高震度7の大地震から4日が経ちました。

 

地震発生直後、震源近くにある北海道のメイン電源、苫東厚真発電所の機能が失われ、全道が停電。つまりその瞬間、函館の100万ドルの夜景も輝きを失ったのです。

 

今振り返ると、

SF小説の中だけの話と思っていたことが現実になってしまった。』

そんな感覚でした。今回は発生直後の気持ちを徒然と書いていきます。

 

地震発生当時、私は札幌からやってきていた知人とともに斜里の家で寝ていました。わずかな揺れとともに「カタカタ」という音を聞き、「あ、地震か〜」と薄眼を開けましたが、揺れも弱く落下物も無いようなのでまたすぐに眠りました。が、翌朝、お手洗いに起きた知人の「え、あれ?」という狼狽の声で目が覚めました。

 

どうやら電気が点かないらしい。

 

これは、もしや夜中の地震がえらいことになっているのではないか。テレビも点かないので万が一の時のために買っておいた手回しラジオを点けてみると、「震度6弱厚真町日高町、震度6、札幌市北区千歳市…」と絶えず震度を読み上げるアナウンサーの声が。続けてスマホTwitterを開くとほとんど全員が地震のことをつぶやいている!中には断水のつぶやきも…。

 

震源地から遠い道東で感じた揺れはとても弱く、道央に住む友人知人との危機感のギャップを感じました。しかし、停電という非常事態は同じ様子。不謹慎かもしれませんが、不思議な連帯感を感じていました。それと同時に思ったことは「津波が来ないようで本当によかった」。東日本大震災以来、地震が起きるたびラジオから聴こえてくる「地震による津波の心配はありません」にほっと胸を撫でおろすようになっていました。

 

滞在していた知人はこの日、早めに起きて斜里を出発し、帯広へ向かう予定でしたが、地震で信号機が消え、通行止めも多いとのことで出発を1日延期することに。数時間後、私にも職場から自宅待機の連絡が。身動きが取れなくなった私たちは図らずも家でお菓子をつまむ1日を過ごすこととなります。

 

 

続く