道新「いずみ」に掲載された。

 今年の8月26日、北海道新聞の投稿欄『いずみ』に私の文章を掲載していただいた。「祖母の家」という題で、内容は昨年亡くなった祖母の家を手放すにあたっての私の思いだった。

 

 この「いずみ」への投稿は10数年前、高校生の時からずっと考えていた。

 

 当時私はラジオを聴くのが大好きで(今も好きだけど)、ハガキ職人とまではいかなくても番組へのメッセージをしばしば送っていた。すると、結構な長文でも採用されて読んでいただくことが多く、それを聴いていた母親から「あんた文章書くの上手だから、新聞に投稿してみたら?こんなのがあるんだよ」と紹介されたのが道新の『いずみ』だった。

 

 それからは『いずみ』を意識して読むようになり、どのような記事が投稿されているのかを研究、日常で文章に起こせるような出来事はなかったかなどなんとなく考えながら日々を過ごしていたが、さして文章として完成させるほどの心揺さぶられる出来事は起こらず、いつの間にか10年以上の時が流れていた。

 

 そして今年、自身が生まれる前から当たり前のように存在していた祖母の家が私たちのものではなくなった。この事実は私の中ではとてもショッキングだった。

 

 「この気持ちをなんらかの形で残しておきたい。」

 

 そんな強い感情がふつふつと湧いてきた。そして「書くなら今ではないだろうか」と『いずみ』への投稿に強い意欲が生まれた。思いついたが吉日、そこから文章を完成させるまで早かった。完成した文章をメールで7月末に送信、「投稿はしたけど掲載されるかはわからない。あまり期待せずに放っておこう。」としばらく投稿したことも忘れていた。

 

 そして8月中旬、札幌への帰省のバスの中で見知らぬ番号から電話がかかってきた。市外局番は札幌。不審に思ってネットで番号を調べてみると北海道新聞からだった。その時にやっと投稿したことを思い出した。今はなきESTAのバスターミナルでバスを降り、アピアの地下街で歩いているところでもう一度かかってきた。

「宮森さんのお電話でしょうか?」

「は、はい、そうです。」

「この度は『いずみ』への投稿ありがとうございます。掲載されることが決まりましたので、いくつか確認させていただきたいことがございます。」

やはり『いずみ』担当者からの電話であった。その後、少し推敲させてもらいたい箇所があるというので文章を確認、少しこそばゆい思いをしながら自分の文章が読み上げられるのを聴く。最後に職業、年齢を確認、「実は今月末が誕生日なんです」と伝えると「では、それまでには掲載しますね」と掲載日時の配慮もしていただき、電話を切った。

 

 そして8月26日朝、まだ布団の中にいた私の携帯に伯母から電話がかかってきて、何事かと電話を取ると「くみちゃん、『いずみ』見たよ!すごいね!」とのこと。タブレットで道新電子版を確認してみると、確かに私の文章がそこに載っていた。それから、親族や元同僚から感想のメールをもらったり、職場に出勤すると「先生、読みましたよ」と職員から声をかけてもらい、少なからず周りの人からの反響がありとても嬉しかった。「道新に文章載ったさ!」と夫に紙面を見せると「や〜、いい文章書くね。」と褒めてもらえたことも嬉しかった。

 

 こうして、10年以上私の中で続いていたミッションがひとつ達成された。また、その時確かにあった「祖母の家」の記憶と思いを、文章という形でしっかり残すことができた。今もまだ思い出して寂しくなるけれど、このことをきっかけにまた前に進もうと思う。そして、いつかまた『いずみ』に残せるような文章を書きたい。