5年

 いつの間にかこのブログをつくってから5年以上が過ぎていた。そしてちょうど5年前の今日、改めて教育の現場で働こうと思い、中学校で支援員の仕事をスタートさせた。

 

 それまで金銭的に余裕がなくて、長く続けられそうなことも見つからなくて、心身ともに混沌としていた。そんな中「今度こそ」と藁にもすがる思いで始めた仕事だった。しかし給料面では暮らすのにギリギリで、「このままでは生活が成り立たない」と考え、期限付きの教諭になることにした。ざっと言えばそんな5年間だった。

 

 そして今、正規の教員として働いている。5年前に立てた「100万円以上貯金する」という目標もいつの間にか達成していた。どん底とまでいかなくても、人生低迷期からコツコツと積み重ねてやっと地表に這い出てきた自分を素直に褒めたい。

 

 もちろん、自分一人だけの力ではどうにもならなかった。斜里で出会った人たちには特に感謝を伝えたい。慣れない仕事や環境でへこたれた時にたくさん飲みに誘ってもらったり、励ましてもらったり。また、同僚の人の紹介で紋別でも働き、数々の現場で経験を積ませてもらうことができた。(ちなみに斜里時代の同僚の一人には生涯の伴侶になってもらった。)現在網走で働いているが、斜里ー網走を異動する教員も多いため、何人かは今でも同じ職場で働いている。紋別で知り合った教員も結構網走に転勤してきている。網走で知人が入れ食い状態。

 

 また、オホーツク管内を爆走した5年間でもあった。斜里に住んでいた時は足繁くウトロに通い、紋別に住んでいた時は雄武に通い。地図で見てもらえるとよくお分かりかと思うが、オホーツクの端から端まで、お気に入りの場所や物を見つけては愛車のハスラーで走り回った。紋別ー斜里のオホーツクを股にかけた遠距離恋愛も良い思い出になった。こうして「身の回りの自然や風景、魅力的な場所や人と出会う」も達成することができていた。

 

 改めて自分が思い描いた生活に近付くことができた幸運に感謝したい。世界には望みを抱いてもどうしても叶えられる環境ではないという人もたくさんいるのに。今後は、自分の心と体を労わりつつ、教員というライスワークと手製本の作品づくりというライフワークの両立を目指していきたい。あとは海外に行く。まま、できることから少しずつ。

 

 また、戦争が取り沙汰される今日、全世界の人々が安全かつ自由に夢を追いかけたり、好きな人と過ごすことが約束される世界になることを願っている。

知床連山から昇る朝日

 

道新「いずみ」に掲載された。

 今年の8月26日、北海道新聞の投稿欄『いずみ』に私の文章を掲載していただいた。「祖母の家」という題で、内容は昨年亡くなった祖母の家を手放すにあたっての私の思いだった。

 

 この「いずみ」への投稿は10数年前、高校生の時からずっと考えていた。

 

 当時私はラジオを聴くのが大好きで(今も好きだけど)、ハガキ職人とまではいかなくても番組へのメッセージをしばしば送っていた。すると、結構な長文でも採用されて読んでいただくことが多く、それを聴いていた母親から「あんた文章書くの上手だから、新聞に投稿してみたら?こんなのがあるんだよ」と紹介されたのが道新の『いずみ』だった。

 

 それからは『いずみ』を意識して読むようになり、どのような記事が投稿されているのかを研究、日常で文章に起こせるような出来事はなかったかなどなんとなく考えながら日々を過ごしていたが、さして文章として完成させるほどの心揺さぶられる出来事は起こらず、いつの間にか10年以上の時が流れていた。

 

 そして今年、自身が生まれる前から当たり前のように存在していた祖母の家が私たちのものではなくなった。この事実は私の中ではとてもショッキングだった。

 

 「この気持ちをなんらかの形で残しておきたい。」

 

 そんな強い感情がふつふつと湧いてきた。そして「書くなら今ではないだろうか」と『いずみ』への投稿に強い意欲が生まれた。思いついたが吉日、そこから文章を完成させるまで早かった。完成した文章をメールで7月末に送信、「投稿はしたけど掲載されるかはわからない。あまり期待せずに放っておこう。」としばらく投稿したことも忘れていた。

 

 そして8月中旬、札幌への帰省のバスの中で見知らぬ番号から電話がかかってきた。市外局番は札幌。不審に思ってネットで番号を調べてみると北海道新聞からだった。その時にやっと投稿したことを思い出した。今はなきESTAのバスターミナルでバスを降り、アピアの地下街で歩いているところでもう一度かかってきた。

「宮森さんのお電話でしょうか?」

「は、はい、そうです。」

「この度は『いずみ』への投稿ありがとうございます。掲載されることが決まりましたので、いくつか確認させていただきたいことがございます。」

やはり『いずみ』担当者からの電話であった。その後、少し推敲させてもらいたい箇所があるというので文章を確認、少しこそばゆい思いをしながら自分の文章が読み上げられるのを聴く。最後に職業、年齢を確認、「実は今月末が誕生日なんです」と伝えると「では、それまでには掲載しますね」と掲載日時の配慮もしていただき、電話を切った。

 

 そして8月26日朝、まだ布団の中にいた私の携帯に伯母から電話がかかってきて、何事かと電話を取ると「くみちゃん、『いずみ』見たよ!すごいね!」とのこと。タブレットで道新電子版を確認してみると、確かに私の文章がそこに載っていた。それから、親族や元同僚から感想のメールをもらったり、職場に出勤すると「先生、読みましたよ」と職員から声をかけてもらい、少なからず周りの人からの反響がありとても嬉しかった。「道新に文章載ったさ!」と夫に紙面を見せると「や〜、いい文章書くね。」と褒めてもらえたことも嬉しかった。

 

 こうして、10年以上私の中で続いていたミッションがひとつ達成された。また、その時確かにあった「祖母の家」の記憶と思いを、文章という形でしっかり残すことができた。今もまだ思い出して寂しくなるけれど、このことをきっかけにまた前に進もうと思う。そして、いつかまた『いずみ』に残せるような文章を書きたい。

 

 

近況報告

 

皆さんお久しぶりです。と言ってもこのブログの前回更新からそろそろ2年が経つわけで、このブログの更新自体気付かれないかもしれません。なので、見られることをあまり気にせず、脳内整理のために書いてみようと思います。(元々このブログを始めた目的もそれなんだけどさ)

 

一昨年から色々なことがありました。まずは住まい。昨年3月まで斜里町にいましたが仕事の関係で紋別市に引っ越しました。本当はもうちょっと斜里にいたかったんだけどこればかりはしょうがない。で、斜里にいた時にお知り合いになった魅力的な移住者の方々がクリエイターとして様々な活動、イベント、店舗を生み出しています。斜里に来たばかりの時に考えた「いずれこうなったらいいな」が今現実になっている感じ。不思議な気分。もうそこから私はいなくなっていたんだけど。

 

かといってけして不貞腐れているわけではありません。次に紋別での暮らし。今年も引っ越しが危ぶまれましたが周囲の方々の協力も得ながらなんとかやりくりして留まりました!!紋別暮らしは2年目に突入。1年以上暮らしているとその土地での楽しみが格段に増えます。楽しい人にも出会えます。まさに住めば都。

 

あとは…兼ねてから始めたかった手製本の作業環境がやっと整ったことでしょうか。引っ越しをした際に一部屋を作業部屋として整備することに決め、道具の引き出しは全てその部屋に収納、無印良品でダイニングテーブルを購入しそれを作業机として使用。学生の時から使い続けて動きが鈍くなったMacBook Proからの卒業と同時にiMacを購入、プリンターも机の横に据えました。そんなふうにして腹を括った私を見ていたのか、休止していた制作ユニットmimoriccaのイラストレーター、かくたみゆさんから東京への出展のお話をいただき…

 

というふうに亀さんペースだけれど理想の生活がすこ〜しずつ叶えられているところです。こんなに好き勝手暮らしているけれど心身共に至って健康。(季節性鬱に似た症状には毎年悩まされていますが。あと生理前の鬱)経済的に無理しているわけでもないし。毎週何かしら面白いことが起こっている。毎日お腹いっぱいご飯が食べられる。おまけに職場の方々は非常に親切。この幸せと周りにいてくれる方々に感謝しつつ、この先も無理せず楽しく暮らしていきたいと思う今日この頃です。

 

あ、あと、自分の「好き」を手放さず何かを生み出し続ける精神への愛おしさが以前よりも増しています。作品にせよ、食べ物にせよ、住環境にせよ、時間にせよ、人間関係にせよ、人は何かを作り出さないと生きていけない。なんてね。

 

紋別オホーツクタワー内のカフェ companioにも桜が。



あこがれ

 

「私は一体何がしたかったのかしら?」

仕事がいわゆる夏休みに入り、時間ができて少し物思いに耽る余裕ができた。そんな余裕にじわじわと侵食してくる思い。

 

前回のブログから丸1年が経っていた。この1年、周囲はもちろん、自分の立ち位置も、情勢までもが大きく変わってしまった。仕事については、臨時職員の立場から期限付きに変わり、給料が格段に増えた分、仕事量と責任もそれに比例して増えた。時に自分の要領の悪さに辟易しながらも、周りの方々に支えられてなんとか5ヶ月を乗り切った。まだ経験していない類の作業があるのでどんなハプニングが起こるのか今から不安があるのも事実だが、今のところ続けていけそうな手応えは僅かだけれど、ある。

 

結局、「資格は荷物にならない」を体現してしまった形だ。「感性を生かせる仕事がしたい」という淡い希望を抱き続けていたが、クリエイティビティとか、飛び抜けたセンスも持ち合わせていないことを思い知った私は、学歴で身に付けたものに頼るしかなかった。この土地で、身一つで生活を成り立たせるにはその方法しかない、という思いで下した決断。

 

ちなみに、この文章に着手してからも既に1ヶ月が経過した。なんという横着。

 

その間に経験したことのない仕事のみならず、経験したことのない困難までもやり過ごすことに。ここ数年、多忙から全力で逃げる代わりに仕事人としての成長と金銭的余裕は全く無い日々を送ってきた自分にとっては、近年まれに見る濃密な1ヶ月間であった。

 

胸を張って「社会人」になれる日もそう遠くはないのかもしれない。

しかし、「文化人」の日々からはしばらく遠のくような気がしている。

 

でも今は、いつか来るかもしれない文化的に充実した日々のために、確固たる貯蓄を形成するしかない。そう割り切って、しばらくこの道を進む。

 

辛い経験を積み重ねながら。

気心知れた仲間たちと酒を酌み交わしながら…。

 

前回の記事から5ヶ月経ちました。

いきなりですが、ブログにノータッチだったこの5ヶ月間を振り返り。

 

4月

・職場(学校)で新年度スタート。子ども達も新年度でなんとなくハイテンション。同時に新1年生が入学。

 

5月

・職場で運動会。自前の一眼レフで生徒の勇姿を捉えるべく、走り回った。応援と写真撮影に熱心になりすぎて、子ども達に引かれたんじゃないかと思う。

 

6月

・所属している町民劇団の本番公演。予想していたよりも大掛かりで、作品としてもモノになっていて感動した。

・祝日もなくひたすら働く。日給制なので、この月のお給料は良かった。(あくまでも他の月と比べて)

・駄目元で教員採用試験一次試験を受験。6時出発で約2時間、釧路まで車を走らせる。

 

7月

・教員採用試験の一次試験に合格。二次試験の準備を、と気持ちは焦るが、疲労のため思うように勉強が捗らない。

・学校は夏休みに突入。時間ができたので、全道造形教育研究大会 at 旭川に参加。

 

8月

・釧路にて教員採用試験二次試験。滞在した3日間、ちょうど釧路港まつりが行われていて、常に祭囃子が聞こえてきた。二日目の面接試験は夕方4時開始で、それまで時間を潰すのに苦労した。

 

この5ヶ月間、どれだけ動けたかな、と見てみたけれど、試験や教育関係のことばかりでした。自主制作(手製本)活動は一向に捗らない…雇用形態の都合上、一般的な社会人よりも時間はたくさんあるはずなのに。自ら進んで動けない、周りから突かれないと動けないという短所が顕著に表れていますね。

 

動きたいのに動けない、そんな自分に喝を入れるために目標を公開しておこうと思います。

 

8月の目標

・新作のノートを1点作ってミンネで出品する。

・本を3冊読む。

 

万が一教員採用試験に合格すると、来年度から作品の物販はできなくなってしまうので、作品販売は今から経験としてスタートしておきたいところ。

読書は、単に仕事の知識を増やすために。それとスマホ中毒脱却のために。

 

最後に、旭川に行ったついでに富良野・美瑛に寄った時の写真を貼り付けておきます。

富良野、あっつかった…。

 

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「太陽と歩く」に参加して

 

3月21日 春分の日、何度も斜里に足を運び滞在制作をしているアーティスト、エレナ・トゥタッチコワさん主催のウォーキングツアー、「太陽と歩く」に参加した。

 ツアーの内容は、斜里町海別岳の麓に住む少年、太陽くんと一緒に峰浜地区を歩き、その中で見たこと、感じたこと、また、これまでの峰浜に関する思い出を地図に起こすというもの。エレナさんが制作のテーマともしている「土地が個人の中に形成する記憶」に着目したプロジェクトとなっている。

 この日集まったのはパン屋さん、デザイナーさん、農家さん、山岳ガイドの方、など、職種はばらばらだけれど、メーメーベーカリーコミュニティーを通じてお会いしたことのある方々ばかり。挨拶もそこそこに、ウナベツ温泉駐車場から歩き出した。

 太陽くんが先導し、その後を10名の大人がぞろぞろと雪の溶けかかった早春の農道を歩いて行く。途中、秋には大量の鮭がのぼってくるという小さな川や廃校となった小学校、スピーカーが付いた丸型の宇宙船のような鉄塔を通り過ぎ、海へ出た。ちなみに私はこの間、太陽くんのお母さんと手を繋ぎながら、1ヶ月半にわたったインド旅行のお話を聴いた。インドでは友人同士でも手を繋ぐことは当たり前だそうだ。そんな平和な国がこの世の中に実在しているとは!という驚きと幸せを感じながら歩いた。

 峰浜の海は砂利の海岸となっいて、コンクリートの防波堤から階段で海まで降りて行くことができる。この日の海は重たく深い藍色。空は寒々しく鉛色の雲が覆いかぶさっていた。そんな天気に負けじと、いくつかの石が固まってできあがった不思議な石やオブジェのような小指ほどの小枝、カニの抜け殻、削られて角が取れた貝殻など、時に高波に足を濡らしながらも私たちはそれぞれの感性に従い魅力的な形の漂流物を発見した。

 そうしてしばらく海で過ごした後、海岸に住んでいる知り合いの木工作家さんのお家を訪ねてみんなで立ち話をしたり、雪解け時期の硬い雪玉で雪合戦をしながらぐるっと回る形でウナベツ温泉に戻った。

 持ち寄りのおはぎ、おこわ、チャイをいただきつつ休憩したら、トレーシングペーパーと色ペンを使って自分だけの地図を書き起こす。紙の上には、ウォーキングでの思い出や印象に残った風景、これまで峰浜地区で知り得た秘密の場所が絵や文字、線で立ち上がる。地図が完成すると、エレナさんが全員の地図を重ねて窓ガラスに透かして見せた。重ねてみると様々な線が一つの画面に凝縮され、記憶の層となって峰浜という土地を表していた。

 地図をテーブルの上に並べて鑑賞会も行った。ドローイングによって可視化することにより、どの場面が深く心に残ったか、各々の切り取り方の違いが面白く、「拾った貝殻の輪郭を直接写し取るとは斬新な!」とか「確かに、全員の上着の色はカラフルだった」など、自分一人では気づかなかった今日という一日の発見があった。

 ウォーキングでは、普段は車で通り過ぎてしまう道を歩き、様々な風景や現象と出会った。特に海岸なんかは、防波堤を乗り越えてまで海に近づこうとしないし、石拾いもしたことがなかったので、とても印象に残った。また、一人一人の表現を見聞きすると、自分の心が薄皮一枚剥けて清々しい気持ちになる。それは写真の鑑賞やドローイング、課題制作など、複数人が同じ表現方法、同じテーマで作品をつくる機会に立ち会う度に感じるが、何度でもこの感覚を味わえることが嬉しいし尊いなぁと思う。

 みずみずしい体験と心踊る冒険に溢れた実りある一日だった。

 

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こちらが私が書いた地図。実際に歩いた道順になるように、印象に残った場面の簡単なイラストを描いた。

 

ちなみに、今回お世話になったウナベツ温泉は来年度からの存続が危ぶまれているようです。

このように気張らずワークをすることができて居心地がよく、温泉も泉質・雰囲気ともに素晴らしいウナベツ温泉、ぜひ残していただきたいです。斜里町さんお願い!

 

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飲み会

 

カレイの煮付け、ホヤの塩辛、タチの天ぷらにさつま揚げ…

 

所狭しと並べられた居酒屋メニューを次々つまみ上げ、とりあえずの一杯目、生ビールと一緒に流し込む。

 

職場の飲み会に誘われた。参加人数は10名ほど。

3回目の飲み会だが、参加者の昼間との別人っぷりには全く慣れない。職業柄きっちりと振舞わなければいけない分、お酒の席では皆さん愉快な人になってしまう。昼間押さえ込まれる本性が夜弾けてしまうとはよく言われるが、まさにこのことかとまざまざ見せつけられては衝撃を受ける。

 

なんだかこの豹変っぷりって不思議だなぁと毎回思う。けなしあったり、ギャグを言いまくってはしゃいだり、バーのカラオケで懐メロを歌いまくったり、夜のうちに発散し、あのどんちゃん騒ぎは何処へやら、どんな赤ら顔の人でも陽が昇れば涼しい顔をして職場に現れるのだ。そんなの太古の昔から変わらない社会人の普遍的様相だけれど、その様相を見るたび、なんとも言えぬ新鮮味と高揚感とに包まれてこちらはほっこりしてくる。

 

私はどれだけ飲んでも記憶が飛ぶことはないので、寝て醒めた後も「あの一言最高だったな」と他人が発した細かな発言まで思い出しては笑い、一人楽しんでいる(変なやつ)次回の飲みの席までしばらくあの様子は見られないんだと、珍しいものを見た優越感と寂しさに耽る。

 

ほっこりする気持ちが味わえるし、思い出し笑いができるしで、飲み会とは私にとってもはやエンターテイメントの一つとなりつつあるのかもしれない。気疲れするし出費もかさむからとここ最近は飲み会を倦厭していたけれど、私はやっぱり飲み会が好きだったのかと近頃また実感している。

 

急性アルコール中毒による痛ましい事故が相次ぎ、お酒を飲むも飲まないも、ましてや飲み会に参加するもしないも本人の自由ということが以前にも増して尊重されるようになった昨今、もはや「飲みニケーション」なんて言葉はあまり重視されない雰囲気となっている。もちろん、お酒の許容量は人それぞれだし、飲み会の雰囲気があまり好きでない人もいるということを忘れちゃいけない。だが、夜中のうちに盛り上がった後の充実感と、僅かでも縮まった相手との距離を考えると、美味しい酒を嗜みながら食事を楽しむことは周りと楽しく打ち解ける有効な手立ての一つだと認めざるを得ない。

 

そんなわけで、皆さんが酒の席に連れてくる愉快な”本性”が好き。お金が許す限りこれからもお酒の席に繰り出して行こうと思う。