金箔散らばる海に寄せて

 

時刻は18時すぎ。

日本でも特に日が早く暮れる道東。冬至に迫る11月、当然ながら日はどっぷり落ちた。

 

毎度のように網走〜斜里間を車で走っていく。左手には満月の輝きを受けたオホーツク海が金箔を散らしたようにきらめいていて、続く半島の向こうには知床連山が夜空よりも濃い藍色になってうっすらと浮かんでいる。それがあまりにも美しかったから、道路の途中に設けられているビュースポットに車を停め、車外に出てしばらく夜の海を眺めてみたり。

 

今月いっぱいで今の仕事を辞めることになった。

カメラマン志望ということで試用期間中はパートとして働いていたけれど、やっぱりカメラマンには向いていないという上の判断だった。網走では雇えないということで、北見の職場で引き続きパートとして働くことも提案されたけれど、そこまで話を聞いてたらいよいよ自分がどうしたかったのかわからなくなりそうなので離れることにした。

 

思い返せば住み込みでお世話になったバイト先の任期が終了し、斜里町で一人暮らしを始めたのが1年前。この1年間でことごとく人手の足りなさを目の当たりにし、田舎で暮らすことの現実を突きつけられた気がする。多少の大変さがあっても知らんふりしていれば暮らしに必要なお給料だけいただいて適当に過ごすことも可能だけれど、どうしても自分の心がもたなかった。そんな中で充実した仕事と生活を両立するには技術的にも精神的にも10年早かったんだと自分の無力さを思い知った。

 

そもそもここで暮らしてみようと思い立ったのは大自然と、魅力的な人々やお店を楽しみたかったのが半分、そして家族から離れたかったのが半分。強制的に実家から300キロ離れられれば否が応でも独立せざるを得ないだろうと考えてのことだった。凍てついて真っ白にそびえる斜里岳も、深緑の防風林も、暖かな空間で供される素晴らしい料理も、今の私にはやっぱり不釣り合いだったのかもしれない。

 

美しすぎる自然を日常的に楽しむことは、将来活躍するためのキャリアや技術と引き換えだったのかと。私の人生において今この段階で何を大切にするべきか、もう一度考えなければ…

 

来月からは町の臨時職員として働くことになった。期間はとりあえず3月いっぱい。その先の生活はどうなるか、わからない。また違う町に引っ越して今度こそ落ち着いて働ける仕事と出会うかもしれないし。

 

次の職場は定時で上がれるし、家で過ごす時間も多くなりそうだし。プライベートを楽しみながらこの先どうするかはまたゆっくり考えていこう、そんなことをぼーっと考えながら、月夜の海岸沿いを運転した11月末。

木目と、旅と、おつまみと、

 

オレンジ、ピンク、グリーン、色あざやかな布を纏った女性たち、バケツを差し伸べる乞食の子供の濁りなき目の輝き、荒涼とした砂漠の稜線にゴマ粒ほどの人間が数人…

 

まがりcafeとbar トゥンバで見せてもらった、スイバ店主 ネパさんの旅の写真。それは、インドで手に入れたらしい、朱色の差し色が美しい紺色の布に小さなミラーが数枚はめ込まれた表紙のアルバムに、手書きのコメントとともに納められていた。

 

現在トゥンバは小清水町にある手作りcafe スイバを間借りして営業している。スイバのオーナー ネパさんが斜里町で宿作りにあたっているためである。私も今夏、2度ほど宿作りのお手伝いをさせていただき、そのつながりでトゥンバさんを知った次第。ここではインド、タイ、ネパール、台湾、カンボジアなど、アジア圏をはじめとする世界各国の料理が食べられる。

 

以前スイバさんで食事をした時、手編みのわら笠や木彫りの個性豊かな手作り照明、丁寧に面取りされ炙り出しにより木目が強調された木材、複雑な装飾が施された階段の手すりなど、内装の作り込みに圧倒され、夜になるとこの空間はどうなるのだろうかと気になっていた。しかし、トゥンバさんのことを知って2か月間、行きつけの店ばかり行ってしまって、未だ行けずにいた。今日も、夜7時過ぎに20分車を走らせてまで出て行くのか悩んでいた。しかし、明日も仕事が休みだということも手伝って、えいやっ、と車を走らせた。

 

来て正解だった。いただいたのは世界のお漬物4種盛りと、蒸し鶏とエビの生春巻き。ノンアルコールビールといっしょに楽しむ。お漬物は、大根、人参、ズッキーニのピクルス、長ネギと赤タマネギ、カレーの葉を使ったインドの漬物、ナスのオリーブオイル漬け、それとザワークラウト。それぞれに美味しいけれどそれぞれに違う味わいで、食べていて楽しい。生春巻きも、春巻きそのものが美味しいのはもちろん、味も辛さも違う3種類のソースが付いてくるのが嬉しい。スイバさんのお料理がとても美味しかったので期待してきたが、その期待を裏切らない。

 

その時、お客さんは私一人だけ。トゥンバ店主 あつしさんから手渡されたネパさんの旅のアルバムを見せてもらいながら、これからしばらく仕事を続けていくつもりであること、でもやはり旅への憧れが強いこと、ついでに、いつか自分の場所を持ちたいということをぽつぽつとこぼした。あつしさんも、トゥンバを始める前は現在一緒にお店を営んでいるパートナーの方と軽自動車に乗って日本中旅をしていた旅人。その昔はギター片手に世界一周したらしい。

 

「いつだって辞めてもいいんだから」と優しく後押ししてくれたけれど、う〜ん、やっぱりまだ数年は先かな。まだ5か月しか経ってないしね。

 

でも私にもネパールのロクタペーパーとか、インドのハンドプリントとか、出かけて行って見てみたいものがたくさんある。ヨーロッパで製本修行もしてみたいし。

 

大変名残惜しかったけれど、お店のお二人に見送られながら「また来ます」と言って店を出た。10月終わりの小清水町、外の空気はひやりと冷たかったけれど、おいしい料理と温もり溢れるお店で心はほっかほか。月並みな表現だけれど、まさにこんな気持ちだった昨日です。

 

※前回の記事、次回に続く予定でしたが、続きはまた別の機会に書きます!適当ですね!

胆振東部地震発生から4日

 

9月6日未明に起こった胆振東部を震源とする最高震度7の大地震から4日が経ちました。

 

地震発生直後、震源近くにある北海道のメイン電源、苫東厚真発電所の機能が失われ、全道が停電。つまりその瞬間、函館の100万ドルの夜景も輝きを失ったのです。

 

今振り返ると、

SF小説の中だけの話と思っていたことが現実になってしまった。』

そんな感覚でした。今回は発生直後の気持ちを徒然と書いていきます。

 

地震発生当時、私は札幌からやってきていた知人とともに斜里の家で寝ていました。わずかな揺れとともに「カタカタ」という音を聞き、「あ、地震か〜」と薄眼を開けましたが、揺れも弱く落下物も無いようなのでまたすぐに眠りました。が、翌朝、お手洗いに起きた知人の「え、あれ?」という狼狽の声で目が覚めました。

 

どうやら電気が点かないらしい。

 

これは、もしや夜中の地震がえらいことになっているのではないか。テレビも点かないので万が一の時のために買っておいた手回しラジオを点けてみると、「震度6弱厚真町日高町、震度6、札幌市北区千歳市…」と絶えず震度を読み上げるアナウンサーの声が。続けてスマホTwitterを開くとほとんど全員が地震のことをつぶやいている!中には断水のつぶやきも…。

 

震源地から遠い道東で感じた揺れはとても弱く、道央に住む友人知人との危機感のギャップを感じました。しかし、停電という非常事態は同じ様子。不謹慎かもしれませんが、不思議な連帯感を感じていました。それと同時に思ったことは「津波が来ないようで本当によかった」。東日本大震災以来、地震が起きるたびラジオから聴こえてくる「地震による津波の心配はありません」にほっと胸を撫でおろすようになっていました。

 

滞在していた知人はこの日、早めに起きて斜里を出発し、帯広へ向かう予定でしたが、地震で信号機が消え、通行止めも多いとのことで出発を1日延期することに。数時間後、私にも職場から自宅待機の連絡が。身動きが取れなくなった私たちは図らずも家でお菓子をつまむ1日を過ごすこととなります。

 

 

続く

選書

 

『チョコレートの手引き』、『わたしがいなかった街で』、『夏の入り口、模様の出口』、『雪と珊瑚と』、『白い花と鳥たちの祈り』…

 

本を借りてきました。ごそっと5冊。私は昔から一度選んだ本は途中で飽きることなく、図書館で借りた本は延長してでも読み切ることがほとんどでした。しかし、最近は本を読了するということができていません。なぜかと考えた時に、本当に面白そうだと思った本を選べていなかったことが理由だと気付きました。こちらに来てからというもの、身のまわりの変化が激しく、また、それに伴い気持ちの上下も激しかったため、生活の知恵を習得するべく実用書を読むことが多くなっていました。しかし、必要箇所を選んでそこだけ読み、満足した途端に読む意欲がなくなって、最初から最後まで読み切ることが少なくなっていました。

 

もちろん、目次から自分が知りたい項目を選び、必要な情報のみ読み取る、そんな読書の仕方も場合によっては必要です。そのような読み方で効率重視ができるようになったことも進歩と言えますが、最初から最後まで読みきり、内容を咀嚼し、余韻に浸る…そんな、面と向かって本の話をじっくり聴くような時間を久しぶりにとりたくなったのです。

 

だから、今回は帯や見返しの内容紹介、冒頭部分を読んで、本当に面白そうだと思えるもののみ選びました。その時重視したのは、まず自分の今の状況から考えて主人公に共感できるもの、例えば、新転地に引っ越すとか、なんとなく上手くいっていない日々を送っていたりとか。そして単に前から気になっていた作家の本だったり、好きな食べ物に関する内容だったり。

 

「5冊も、しかも全部ハードカバーの本で、所持して満足してるだけなんじゃないか、自分は」

 

こんなに借りても本当に読みきれるんかいな、という疑いの気持ちしかありませんが、今回借りた本は個性的なイラストが使用されていたり、落ち着いた色合いが印象的だったり、文字のみの意匠がとても美しかったり、どれも丁寧な装丁が施されています。そんな凛とした佇まいは私の読書欲を刺激してくれる、はず…!

 

返却カウンターへ訪れる時の気持ちはいかなるものか?「久しぶりに読んだ読んだ!気持ちいい!」か、はたまた「忙しさにかまけちゃって、5冊とかやっぱ無理だったわ〜」なのか。

 

私は私の読書ニーズを満たすことはできるのか?私の選書センスや、いかに?二週間後が楽しみです。

モンベルストア小清水

 

今日も元気に小清水原生花園を通って帰宅。その途中、4月にオープンしたばかりのモンベルストア小清水に寄りました。

 

入り口にはモンベルストアのシンボル、大きなクマのぬいぐるみが季節のアウトドアファッションに身を包み、お出迎え。一歩お店の中に入ると木の香りとともに色とりどりのアウトドアグッズが飛び込んできます。青、赤、ピンク、オレンジ、ライムグリーン…ウッディな店内をゆっくりと歩きながらカラーバリエーションに富む商品を眺めているうち、「最近、派手な色に飢えてたな〜」と気付きました。緑深い、あるいは白一色の雪山に入っても目立ちやすいように、アウトドアグッズには彩度の高い派手な色のものが多いです。たとえアウトドアに出かける予定がなくても、見ているだけで楽しい気持ちになります。

 

そのようにしてウキウキした気分になっていると、最近抱えていたこの先への不安や生活の中で生まれた疲れがふと解けて、大学生の頃まで感じていた色への素直な感動が蘇ってきました。デザインを学んでいた時は、作品を制作するなかで、何万通りとある色と色の組み合わせを試すのが楽しかった…。

 

軽い足取りで2階のギャラリースペースを覗いてみました。現在展示されているのは、期間中に小清水へ訪れた子ども達の、小清水原生花園に咲く花々の塗り絵作品たち。子ども達の素直な感性で選ばれた色の組み合わせはとても鮮やかで、見ていてとても清々しい気持ちになりました。奇をてらうこともなく、ただ自分が好きだと思った色を、自分のタッチで塗っていったのでしょう。暖色と寒色できっぱりと塗り分けられた花などは、美しい民族衣装をも彷彿とさせました。

 

感心して見ていると、色とりどりに塗られた花たちの背景が空色で塗られた作品が。上部には幼い文字でこんな一文が書かれていました。

 

「あおぞらのしたで、はながうたっている」

 

感動で鳥肌が立ちました。空が青く晴れ渡った日には、道東の優しい日差しに当てられた花々はとても生き生きとしています。そのなんとも言えない、花が全身を使って輝いている様子を、見事に言葉にしてくれたと思いました。

 

ある程度歳を重ね、素直な気持ちで手を動かす、行動することがとても難しくなってしまったけれど、見る者に大きな感動を与えるのもまた素直な気持ち。そんなことを改めて考えた時間でした。損得を気にせずまっさらな状態で、やりたいことをやって、気になったものを見る。その積み重ねで次の場所へ辿り着くことができたら、最高に幸せでしょうね。

 

天に続く道

 

仕事が終わってお疲れさん、家帰ろ…とその前に、天気がよく夕暮れが良い感じでしたので、久々に天に続く道のスタート地点に行ってみました。

 

やはり観光シーズン真っ只中、木造展望台も、天に続く道のスタート地点に新設された駐車場も観光客で賑わっていました。そんな中、そよ風に吹かれて眼下に広がるオホーツク海と麦畑を眺めていますと、隣に子ども二人を連れた親子がやってきて、「広いね〜、北海道に来られてよかったかい?」とお父さんに抱っこされた子どもが尋ねられて「うん」と返事をしていました。なんとも心温まるひととき。

 

ここは住み込みバイトをしていた時から一息つくために通っていた大切な場所。本格的にここに住み始めた後も通い続け、日常となりつつあったこの場所だけれど、非日常としてここへ来た人にとっても海と大地の広さに感動し、果てしなく広がる大空と幸せを分かち合うには十分すぎる場所。

 

「こんなに綺麗な場所だったらそりゃ誰でも離れられへんわ」

 

今年お知り合いになったばかりの、大阪から斜里へ短期アルバイトへやってきた人から言われた一言がずっと頭から離れません。この素晴らしい光景を日常として手に入れようとしたけれど、そんな贅沢をするにはまだ若すぎたのかしら?

確かに、私にはまだまだ日本中、世界中に出掛けて行って、やりたいこと、見たいものがたくさんある。この地に納まるつもりはありません。しかしこの美しい場所を拠点として、世界中飛び回ることはできないのでしょうか?やはり叶わぬ夢なのでしょうか?

 

大抵の人が一度は夢見る田舎暮らし。実現するにはそれ相応の苦労が必要で、ほんの1、2年で安定するものじゃないと身をもって知ったけれど、果たしてそれまで頑張れるかどうか。頑張る意味を見出せるのか。

 

今度また仕事とか、金銭とか、人間関係とか、目の前のことで頭がパンパンになることがあったら、家も車も物も手放し身軽になって、生活費に困らなかった日々に一旦戻ろう。そしてまた生き方をゆっくり考えよう。一度立ち止まる方法を知って、少し賢くなったことは確かです。だからどうなっても大丈夫。でもあと3年は試行錯誤したいなぁ。ちゃんと貯金もしながら。しかし3年もかける価値はあるのか?今すごく悩んでます。ブレブレです笑

 

この展望台へ初めて来た時を懐かしみながら、オホーツク海に沈む夕日を眺めていました。

 

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小清水原生花園

 

真夏に向けてライダーが増え続けるこの場所は、毎朝通る通勤路になっています。

 

いつの間にか季節は初夏を迎え、エゾスカシユリハマナス(花の名前を書き連ねていますが、全く詳しくないので適当。小清水原生花園に咲いてない花かも…すみません)が黄色やオレンジの花を咲かし、深緑色の草原にアクセントをつけています。

そのコントラストの美しさにハッとさせられ、植物のちょっとした美しさを感じられる時間を毎日持てることは、きっととても贅沢なことなんだろな〜、と思いつつもその後始まる仕事に一抹の不安を抱えながら車で通り過ぎています。

 

網走〜斜里間をつなぐ国道244号が通るこの場所は、10数年前まではどさんこワイドのお天気の時間に流れるライブカメラで眺めるだけの場所でした。

ブラウン管の向こうに広がる「札幌からは遠い、北海道の東のどこかにある荒涼とした土地」。そんな認識しか持っていませんでしたが、まさか今こうして毎日突っ切ることになるとは。

 

ずっと暮らした札幌を飛び出し、縁もゆかりもなかったオホーツクの地に初めて来た時から2年が経ちました。その間、まさかまさかの連続。持つことはないと思っていたマイカーを購入することになったり、人生初の一人暮らしをこちらで始めることになったり、右手に小清水原生花園、左手に濤沸湖を眺めながら通勤することになったり。

 

元はと言えばいつまでも家族の元を離れられなかったことにコンプレックスを感じていたので、こうして物理的な距離をとることで半ば強引に親元から離れることにしたのです。しかし、慣れない地での、慣れない一人暮らしは想像以上に落ち着きません。「住み込みで働いている間に知人も増えたし、ここで暮らしてもなんとかなるかな」なんて考えていたのですが、甘かった。そんな甘さゆえ人様にも迷惑をかけた。

 

形だけは独立したものの、まだまだ自立できていません。

 

その現実を痛感し、もう札幌に帰ろうかとここで暮らすことを諦めかけたけれど、結局また異なった方法でこちらに住むことを選びました。この選択がどんな結果を招くのかわからないけれど、私は今確かに人生を使って実験している。

 

そんなことを考えながら今日も小清水原生花園を車で通り過ぎました。

 

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